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生きること

毎日時間が足りないから、少しは生きやすさを。

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感情を逆撫で

どこぞのグループが演奏していた曲の楽譜を使い回す事は、
非常に気を遣うものである。

恋の季節もそうだし、
さくらんぼもそうだし、
浪漫飛行もそうだし、

一緒に歌える歌になればいいが、
なかなかそうもいかない。
よくよく後悔を抱える。

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作曲家冥利

一応、音楽を教えて下さる学校に通ったのもあり、
道楽半面夢を見ていた訳で。

いつか自分の書いた物が公に形になれば凄いと思ったものだが、
何度かそういう面に直面は一応しつつ、
相変わらずそういうのに弱い。

最初はいつだっけ?
1年の専攻発表会?

Fagotto3重奏書いて管楽器専攻生連れてきて演奏させようとしたら、
1番上のパート(その分難しい)を私がやるハメに。
あんたら専攻生なのに…。
(一応、管楽器も受けて合格判定はもらったものの入らなかっただけで、
専攻生は受験やそれ以前に会ってるから私の事も演奏も知ってる)
なので、さして感動はなかったような。

それから楽団作った初回の演奏会。
凄い人数が参加して、プロの方も参加して下さったのに指揮は私が。
自分は微妙だったが迫力が凄かった(プロの方は演奏に入ってくれた)
音源のMDが聴き過ぎたのか壊れ、演奏ビデオ紛失(イヤな思い出

ちょこちょこと書いては何かしらで演奏はしていたけど、
段々と卒業してそれもなくなって、
曲も書かなくなり、
演奏もしなくなり、

アカペラに出会って、
オリジナルが欲しいと言われ、
長い月日を書いて形にしたものの、色々な事情で演奏が出来なくなり、
状態が変わり、曲も書き直し、
ようやく演奏したものを、
その曲を今でも好きだと言ってくれる人が居て、

曲を書き進め、
新しいグループが出来てまた書いて、
私としてのアカペラのオリジナルは6曲になって、
詩の力と歌い手の力が合わさり、

好感触を得て、
褒められて、
コピーと比較される程褒められて(さすがに死んだ
ライブDVDのエンディング曲として演奏音源を引用して使って頂いた挙句、

自分の手から離れた。

アレンジが少し変わって演奏されるのを見て、ちょっと感動して涙が出そうだった。

自身の歓迎会から向かってきた詩書き(酷い酔っ払い)が走ってやってきて、
目の前で演奏してもらって、
思いっきり拍手して喜んでいるのを「自分の曲をそれだけ褒める人も珍しい」と言われていたが、
案外そういう感じなんだと思う。

もはや自分の曲でありそうでもない。

凄い。


さて、ハードルが上がったので(この曲を超える物を書かねばならない)
頑張らないと。

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曲を作るという事

「作曲をしています」とは最近あまり公言しなくなったなと。

前は若干学校を出て自負している部分があったので、
そりゃあ大層なもの作りますという気分だったが、
学校を出てから早数年、
考えてみれば作曲なんて誰にでも出来るもの。

どんなに和声を駆使して楽理を並べても、
結果的に「耳ざわりの良いもの」や「それぞれの趣味」に陥る。

私がきちんと練ったからといっていいものが出来るとは限らない。


で、作曲をしています。
この言い方はただ普通に音楽をやって(楽しんで)きて、
その流れて音作りを始めた方と変わらない。
学校を出て音楽を学んだ人の言い方ではなく、
もっと「自分にとって親しみのある感覚」にて発言。


私は音が落ちてくるのを待ちます。
頭の中にしっかり張ったくもの巣のような頑丈な音楽が、
自分の手に落ちてくるのをただただ待ちます。

手まで落ちてきた音を紙に描く。
それを更に練って寝かせて。

少しずつ形の変わってくる音楽を今度は五線に乗せて、
それを何度も何度も流しながら魅力的な形に仕上げます。

あと少し。


先日のラジオでRAG FAIRのおっくんが
「30才までに作りたかった(形にしたかっただったかな?)」と言っていた。
私は今のところ経過(若干いつも通り)でしかないが、
一区切りとして作る事が出来るとまた渾身の仕方も違いそうだ。

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個人としての悩み

昨今凄い悩みだが、
scene#17や君に咲く花の音書いてるのも、
恋の季節、さくらんぼ、ハニーなどなどの音ネタ書いてるのも自分な訳で、
一度に色々は出来ないから方向性は絞りたいところなんだけど、
どうしていいのかさっぱり。
音書きには時間掛ける方なのでオリジナルに邁進も出来ないのだが、
どうしたらいいんだろう。

君に咲く花をよく褒めてもらえて嬉しいが、
詞とそれを歌うvocalと、演奏するバンドがあっての結果半面、
音書きとしての悩みが若干。

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