練習アラカルト a cappella 2006年10月23日 ●人に左右される八方美人タイプなので、相手によって環境や雰囲気が変わり左右される。同じ人の関わる別なグループが、同じように活動出来る訳ではないと思う。先日の練習で言えたような事が言えなくなる。だから、こっちでは出来るのになんでこっちでは出来ないんだろうねぇと思ってしまうが、自分も同様なのではある…。●すいませんでした。練習時にあーだこーだ話していても、途中で私は諦めてしまうらしい。出来ないなら仕方ないかなと思ってもあると思うけど、「途中で諦められるのがイヤだ」(諦めたのが分かる)と言われた。私が言っている事は宇宙語かもしれない。この説明で通じないならしょうがないのかなと思ったりしてやめる。それは諦めている事であるのは確か。歌って説明出来れば一番だけど、それを出来る技量がないような…。あぁ、無くても歌えばいいのか。●不信感自信がない状態で歌う人が増えた。聞く責任を押し付けられていると感じる時がごく珠にある。何も言わせないくらいの自信と意志で歌ってくれれば上から言わないで済むし、色んな事がぶつかり合えるのに、「多分言ってくれるだろう」とか、「やり方を教えてくれるんじゃないか」と思いながら演奏しているのが目に見えてわかる。「私はこう思う」ってやってくれないとディスカッションに辿り着けない。「こういうつもりで演奏しているがどうだろう?」「いや、私はこう思う」or「それもいいがもう少しこう」などなど。単純に練習不足、取り組み方不足なんだろうか…凄く温度差感じてる。●コーラスの力不足時に大げさではあるけども、私は歌は上手くないけど表現力はある方かなと自称する事にする。私とコーラスを一緒にする人で、私に負ける人が多い。ダイナミクスの幅が狭い。音楽への挑戦者が減った。ただ曲を歌う(流す)人が増えた。共に戦う感じを得られずつまらないと思う事がたまにある。とはいえ、その人はそれが精一杯なのかもしれないけどね…。●一緒に歌いたい人今までもちょこちょこ一緒にやってきては居るのだが、ゆっくり練習時間がとれなかった事でようやく最近になって「一緒にやっている感」を得られた人が居る。歌ってて面白いって感じるのよね。こんな人がいっぱい居たから続けられた。今「一緒に歌いたい人」を挙げてと言われたら、昔とどんな風に変わるだろう。とはいえ、「一緒に歌いたい人」ってのは理想だからいいんだよね。理想を現実にした結果、シャッフルがいっぱい出来ちゃった。自分の事気にするより先に周りを選り好みしてしまうんだなぁと、一杯やってきて自分が何よりも気にしているのだ。だから、上記の事を感じてしまうのだ。 PR