山菜採りの危険性 life 2007年06月07日 先日伯父(70代)が山菜採りの最中に行方不明になり、山菜採り仲間でもある親戚や知人総出で捜索。母も探し方に行っており、皆で叫びながら山探し。妹である伯母は泣きそうになりながら探していたという結構大変な状況。発見時はまるで魂が抜けたように脱力状態でちょこんと大きな石に座っていたという。話を聞いた父は「兄貴達は勝手」と罵っていた。私は怖い怖いと思って聞いていたので酷い言い方だと思った。 発見時はまるで魂が抜けたように脱力状態で座っていたという…が、時間が経てば何もなかったようにケロっとしていたらしい。父はそういう態度がいつも問題だという意味でそう言っていたっぽい。当事者であればある程、事の重大さに盲目になるもので、(例えそう思っていなくとも)多少は悪かったという態度を示してくれていれば迷惑被った人々も気が晴れるものだが、「何が悪いんだ?」という態度ではカチンと来る。(かなり悪い事したと思いますが…)普通は自粛したりわきまえたりするものなんだろうけど、とてもそうではなかったっぽい。今朝、新聞で「山菜採りで○名死亡」の記事を読んだ母が思い出したように後日談を。「みんなに迷惑掛けたんだから、親戚はまずいいとしても○○さんちに謝りに行け」と、誰かが言ってくれたらしく、伯父夫婦でその人のうちに謝りには行ったらしいが、どうも謝る態度ではなかったらしい。「山好きだし行きたいんだろうからしょうがないんだね」と母は言ったが、そういう問題か!?何もなかったから良かったのであり、捜索が身内だけだったからそれで済んだのであり、(本物の捜索隊が必要な程)オオゴトになっていたらとてもじゃないが到底ケロっとなんて出来ない…。まして結果が最悪の事態だったらと思うと。みんなが母のように思ってくれればいいけど、普通の人は見つかって良かった結果論以上に、捜索の労力や心配しのだという感情を本人にぶつけたくて仕方がない。自分のした事の大きさに自覚がないという意味では、きっと伯父はまたしでかすんでしょうよ…若くもないんだし。で、伯父が山に行く度に「またやるんじゃないだろうか?」という心配(恐怖)が皆に生まれる。伯父はそれに気づかないまま飄々と山に行き、またそういう態度だからみんなもモヤモヤする。山菜採りによく誘われるので私は毎度断るが、よく皆さん、道を外さないものだなと思っていたけど、道を外すと大変な事になるんですね。事故がない事を祈ります。オオゴトになってからでは遅いので。 PR